| 私の闘病記 上島 久 上島医院長 当振興会副会長 |
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| 平成10年9月頃から、右股関節部から膝にかけての痛みを時々感じていたが、体を休めると楽になるので、坐骨神経痛か筋肉痛のようなものだろうと思っていた。平成11年7月頃から、歩くと体が左右に動揺するのに気付き、検査を受けようと決心し外科医院を受診した。レントゲン写真を撮り終え、先生に呼ぱれて診察室に入った瞬間、先生の顔を見て病気の重大さが分かった。右骨盤に腫瘍のような変化を認め精査が必要であるが、この病院では精査も手術も出来ないので、大きな病院を受診するように勧められた。 この時いろいろなことが頭に浮かんできた。骨盤の手術はどのような手術だろうか。術後歩けるだろうか。仕事へ復帰出来るだろうか。家族の今後の生活はどうなるのか。生命は?今まで医者の立場で癌患者さんにイシフォームド・コンセントをしてきたが、今度は逆の立場となり、メンタルサポートの重要牲を感じた。 第1回目の入院(平成11年9月30日〜平成11年11月30日) 平成11年9月30目に三重大学医学部附属病院整形外科へ入院し、'CT,MRI、骨盤骨の生検の結果、軟骨肉腫と診断され、腫瘍広汎摘除術と人工股関節置換術を受けた。約8時間の大手術ではあったが、翌日手術部の痛みもほとんどなく安心した。 その後、2週間のベット上安静を指示され毎日天井を眺めていた。重たくて動かすことができなかった右足も、1週間程経つと、つま先が動かせるようになり、時々左下側臥位にさせてもらった。体位変換する時、両足の間へ大きなクッションを入れ忘れると、人工関節部に激痛が走る。右足を支える筋力がほとんどなく、無理に体位変換すると、人工関節が脱臼するという。術後2週聞目に車椅子か許可になり、一人でトイレまで行けるので嬉しかった。 右足を外側へ動かす力(外転力)がゼロであるので、体がふらついた時踏ん張ったり、支えたりできない。その為ベッドから車椅子へ、車椅子から便器への移動時には細心の注意が必要であった。一度トイレの中で立ち上がった時、体が右側へ倒れ掛かり、咄嵯に周りの手すりを捕まえて事無きを得た。老人の場合、、特にトイレでの転倒が多く、人工関節の脱臼や骨折をきたすらしい。 その後しばらくして理療室でのリハビリが始まった。運動は好きなので、筋カアップも簡単だろうと思っていたが、筋肉や神経を切断されているので、回復は容易ではなかった。車橋子に乗っている時は、早く松葉杖で歩きたいと思っていたので、松葉杖の練習が始まった時は嬉しかづた。初めの頃は、右足を床に触れないように指導された。右足に体重をかけると人工関節のセメントで固定した部分が壌れるらしい。 「松棄杖を使用している時は絶対に慌てないこと。床が水で濡れている時は特に注意すること。転倒したら骨折しやすく、骨折したらまた車椅子の生渚に逆戻りである。」とリハビリの先生から何度も聞かされていた。平坦な所での練習ができるようになると、階段での練習へと進んだ。階段の上がり下りは慎重にしないと危険である。上がる時は、先ず良い方の足から上がり、次に悪い方の足を引っ張り上げるのである。まだ上がるのはよいが下りる時は非常に恐い。少しでも体がふらつくと支えることが難しく、下まで転げ落ち骨折は間違いなしである。家の玄関にも段差があり、この階段の上がり下がりが出来なければ、退院出来ないことになるので十分練習した。 第2回目の入院(平成12年3月6日〜平成12年5月9日) 平成12年2月中旬、右大腿部に再発の腫瘍が見つかり、右下肢全体が腫れるようになったので、平成12年3月6目再入院となる。超音波検査にて右大腿部の静脈に血栓が見つかり、手術時に血栓が剥がれて肺につまるのを予防する為、下大静脈にフィルターが入れられた。また再発腫瘍は骨に癒着しているので右下肢切断術をしなけれぱならないと言われた。この言葉を聞いた時、ショックは隠しきれなかった。 3月23日に右骨盤半切術が施行された。前回.同様術後の痛みは感じなかったが、.右足がなくなっていたので悲しかった。2週間のベヅド上安静が過ぎ、電動式ベッドでゆっくり体を起こしてみた。かなり上体が起きた時、体中の液体がなくなったはずの右下肢の方へ流れ出し、体全体が吸い込まれそうに感じたので、すぐ元の状態に戻した。3日程でこの異常感は消失した。座位になると、右腎部の筋肉が少ない為どうしても体は右側へ傾いてしまうので、タオルか何かを詰めなければならなかった。初めてトイレへ行った時、便器が大きく感じた。今までは右足があったので、それほど感じなかったが、便器の中へ嵌り込みそうである。 少し元気が出てきたある日、看護婦さんが「ゲンシツウはありますか」と尋ねるので、「ゲンシツウって何ですか」と聞き返すと「なくなった手や足に痛みを感じることです。」とのこと。戦争や事故で手足を切断した人が指の痛みを訴えるという話を思い出した。ゲンシツウという字はどう書くのだろうと考えていたら、翌日から右膝や右足がジンジン痛むようになった。この痛みは鎮痛剤や座薬では効果がなかったので、その後毎日左足を擦って気分を紛らわしていた。むしろ幻肢痛よりも幻視感覚に悩まされた。 ベッドで仰臥位になり左足を伸ばしていると、右足は約10度から20度の角度でベッドから上がっている感じがする。座っている時には、左足はベッド上にあるが、右足はベッドを突き抜けて床まで達しでいるように思える。このように左右の足の位置がバラバラになっているので頭の中は変な感じである。車椅子に乗っている時も体が少し左へ傾くと、右足が車椅子の外側へ出ている感じになる。そんな時、前から人や車椅子などが近づいて来て、自分の右側を通過すると右足にぶつかりそうになる。幻肢感覚だからどうする事も出来ない。しかし、この嫌な幻肢感覚も手術後半年頃から少しずつではあるが、減少してきている。 退院2週間前から松葉杖の練習が許可になった。今度は右下肢がないのでバランスをとるのが難しいが、1回目の入院時から松葉杖は使い慣れていたので助かった。退院後自動車に乗せてもらったり、観劇やコンサートで座席に座る時に伸緒自在の松葉杖が必要になった。そこで、介護用品を扱っている会杜へ電話してみたら、そのような松葉杖はないとの返事であった。仕方なくインターネットで調べると、米国製で希望通りの品物があり、早速購入して現在も使っている。この杖のお陰で外出が楽しくなった。 「義足で歩行」 平成12竿7月11日、仮義足が出来上がった。不安な気持ちで義足を装着した。右下肢は付け根の部分からないので、腰を振って義足を前へ出さなければならない。手術後は左足だけで生活していたので、義足とはいえ右側で体重を支えることが出来た時は感激した。松葉杖の助けが必要ではあるが、二本足で歩ける事は嬉しい。平行棒の中で練習すると、すぐ義足での歩行に慣れた。椅子に座る時は腰を使って膝の部分を折り曲げ、椅子から立ち上がる時は、そのまま立ち上がれば義足が自然に伸びて体重を支えてくれる。座った姿勢で膝の上にあるボタンを押すと、義足を内側へ回転させることが出来る。この回転で、あぐらをかいたり靴下を履くことが可能である。義足を装着していると左右のバランスがよくなり、座っている時に体が傾かないが、腹を締め付けるので窮屈である。夏には腰の回りが汗でびしょ濡れになり大変である。 「改造車の運転」 障害者になったら車を運転しなくてもいいではないかと言われそうだが、障害者なれば余計に白分で運転したいものである。人のお世話にならず、自分でどこへでも行ければ楽しい。そこで車を改造して運転する事に決めた。オルガンタイプで左足用のアクセルを踏むと、今までのアクセルが作動し、ブレーキはそのまま使える。初めて左足で運転した日は少し興奮気味であった。家内を助手席に乗せて、ゆっくりと出発した。国道へ出てスピードがアップすると足の位置を頭の申で確認しながら運転した。オートマチックであったので思っていたよりも簡単に乗ることが出来た。 その後何回も自分で運転し自信がついたある日、事故を起こしてしまったのである。症例検討会に出席する為、自動車で出かけ会場の駐車場へ車を入れようとした時に、思いがけないことが起こった。バックで車をゆっくりゆっくり動かしている時、急にエンジン音が大きくなり車のスピードが速くなった。咄嗟にブレーキを踏んだが。踏んだとたんにもっとスピードが増し全速カで暴走し、車止めのコンクリートを飛び越えて木の柵を突き破って止まった。一体何が起こったのかさっぱり分からなかったが、後でよく考えてみると、後を向いた時に、曲げていた義足が伸びて左足用のアクセルを踏んだのが原因と分かった。その後は、義足を十分折り曲げて動かないようにして運転しているので、このようなアクシデントはまない。それにしても、自分にも怪我がなく、人身事故にもならなかったことが不幸申の幸いであった。 「中国の病院体験」 約20年前から東洋医学、特に針と漢方薬に興味をもっていたので、この機会に中国へ行き、中医の先生にも診察を受けてみたいと思った。今後の治療によいアドバイスが得られないかと考羊たのである。'このことを中国留学生の張さんと命さんに相談したところ、早速、中国の3病院での受診を手配してくれたので、平成12年8月13日中国へ向かった。観光旅行も兼ねた10日間の旅で、北京西苑医院、鄭州市の河南中医学院第一附属医院、洛陽の正骨医院の3病院を回ってきた。 どこの病院でも、漢方薬と西洋薬を併用する中西結合の医学が基本となっていた。2回目の手術後、体力的にも精神的にも弱っていたので化学療法はしていないことを告げると、漢方薬で調節するから心配せずに化学療法も併用するようにとのことだった。帰国後、三重大学整形外科の内田教授と相談し、インタニフェロンの免疫療法に加えて化学療法も追加した。漢方薬は北京西苑医院の周先生の処方を毎目煎じて朝晩2回200m1ずつ服用している。自分はコーヒーのように飲めるが、家内は一口も飲めないと言う。やはり漢方薬は「証」が合わないとダメだと改めて思った。その後も毎月1ヶ月分の漢方薬を郵送してもらい、飲み続けている為か体の調子は良い。平成12年12月末に再度北京へ行き周先生の診察を受け、脈診舌診の結果、体の状態は非常に良く何の間題もないとのことだったの安心した。 「入院して思った事」 入院の日、好きな花を持って部屋へ入ったら、病棟内の花は禁止とのことでがっかりした。園芸を趣味の一つとしているので・花のない部屋で入院生活を送らなけれぱならないと思うと免疫力も低下してしまった。 MRI検査の時、カタカタカタという.騒音はなんとかならないものだろうか。狭い空間に入れられて、凄い雑音を聞かされたのではたまらない。医療機械の進歩は目覚ましいから、これくらい改善するのは簡単なことのように思える。 週2回の入浴は、元気になってくると楽しみの一つである。でもその日が祝目に当ると中止とのこと。患者にとって祝祭日は関係なく、入浴したいものである。ボランティアの人による音楽演奏会や映画鑑賞会が、時ヵ病院内で開催された。これらは、退屈な入院生活を楽しいものに変えてくれるので続けほしい。病気になったら今までの生活習慣を反省し、ライフスタイルを変えていかなければ治らないと思う。自分では良いと思っていることでも、'反省すべき点は多いものである。家族や兄弟をはじめ、周りからの支えが大切である。発病以来、温かく接していただいた多くの方々に対し、感謝の気持ちでいっぱいである。 |