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芳村思風(よしむら しふう) 等振興会顧問 哲学者
思風庵哲学研究所
病気は気の病と言われているように全ての病の根底には、感性の歪みと感性の機能の乱れと感性の働きの衰弱がある。気とは感性を中国の哲学の言糞で表現したものである、感性論哲学という言棄は、まだ辞書にも出て来ない哲学の名称であるが、実は感性論哲学の創始者である小生が自分の考え方に付けた名前である。
しかし今や時代は全世界的に感性の時代と言われ、理性への絶対的信頼がゆらぎ始めている。人々は理性の支配からのがれようとして「理屈じゃない、心が欲しい」と叫んでいる。心とは理性という能カを持つ所まで進化した命における感性の在り方あって、心も感性である。時代は明らかに理性から感性へと精神原理の重心を移行させつつあり、人々は理性によって支配され抑圧された感性と心を理性から解放し、理性によって破壊された人間性を取り戻そうとしている。
私が感性の研究を始めたのは1962年20歳の夏からであったこ時代は第…次高度成長の後半期で池国勇人首相が所得倍増計画を政策としてかかげ、科学的合理主義が杜会を支配し、哲学無用論が唱えられ、理性を原理に全てが合理化されて行く理性万能の時代であった。そのような時代の流れの中で、若者の間にはロカビリーやロックンロールが熱狂的に流行しプレスリーが世界的な大スターとなって活躍をした。
また全学連による様々な旧い権力支配に対する抵抗運動が実に過激に展開された。一方思想界においては反理性の哲学と言われる実在哲学の最後の巨星であったサルトルが何回も日本を訪れ若者達に大きな影響を与え実存文学が流行した。
19世紀中頃からヨーロッパで始まった実存哲学の広がりが医学にも及び、有名なフロイドの深層心理学、すなわち理性による本能や感情や欲求への抑圧という精神構造が精神の病の原因であるるという考え方が生まれた。この考え方は今や精神病だけではなく全ての病は心因性であると言われる考えの出発点となったのである。フロイトの精神病理学は、当時の理性に基礎を置いていた西洋の文化や杜会や思想に衝撃的な揺さぶりをかけた。またそのような流れの中から数学者であったゲーテルが1931年に発表した、理性の『不完全性定理』という論文も生まれたのである。
そして20世紀の後半に入ると、有機的な生命という次元に基礎を置いた考え方を忘れ、単純に理性のみに原理を置いて経済的豊かさと物質的豊かさのみを目的とする科学技術文明が急速な発展をとげ、自然破壊、環境破壊、人間性の破壊、核廃棄物などの大きな間題をつくり出してしまった。ようやく人類は、ここに到って、本当に我々は理性を正しいと信じて生きて行っても良いのかという原理的反省を持つことになったのである。多分このような時流を背景にして有名な石原慎太郎の「太陽の季節」という小説も生まれ、同名の映画で石原裕次郎がデビューして、杜会倫理や既成概念に支配されず無軌道な生き方をする青年を演じて『太陽族』という言葉が生まれた。
私は、このような時代の中で大学生活を送りながら、直観的に、時代は理性の時代から感性の時代へと動いていると感じたのである。私は、大学卒業の寄せ書きに『理性の足音は遠ざかり、感性の足音が聞こえて来る』と書いた。しかしまだ当時は、理性の哲学万能であって、私が20歳から独自に始めた感性の研究をまともに評価する人はほとんどいなかった。学校教育は正に理性教育の黄金時代であったのである。如何に私の感性の研究を教授が評価しなくても、私には、昭布30年代を生きる青年の一人として、プレスリーや太陽族やフロイトやサルトルに魂が共振して、やがては『感性の時代』が来ることに確信があった。だから私は如何に不遇の中にあっても感性の研究を止めなかったのである。今から見れば、この時の決断は正しかった。

感性論哲学とは、『人間の本質は感性であり、生命の本質も感性であり、感性は宇宙の研究的実在である』と考える哲学である。
今や人間の本質は理性ではなく感性であり心であるという人間観は半数以上の人に受け入れられていると思う。
心とは意味と価値を感じる感性である。人間は意味を感じないとヤル気にならないし、価値や素晴らしさを感じないと命は燃えない。感性と感覚はちがう。感性は感じる力そのものであり、感覚や感情や本能や欲求は感性の現象形態である。対象を赤いと感覚しただけでは単なる物理的現象としての事実にすぎない。赤いと感覚し、それをキレイと感性が感じた時、人間の心は育つのである。
人間らしい心は意味と価値を感じることによって成長する。意味と価値を感じる感性を成長させる為には理性を使わなければならない。理性で判断したり、理性で物事の意味や価値を考えると、理性で考えた意味を感じるように感性が成長して来る。心とは理性と感性の協力に基づく相乗効果として生まれ成長して行くものである。心をつくり成長させようと思ったら、我々は感覚や感清や欲求や本能を理性によって客観的に見つめ対象化して捉えて、それを否定したり抑圧したりするのではなく、また、それに支配されてしまうのではなく、理性を使って、それをどのように生かして使えば自分を人間的に成長させ、他人に迷惑をかけず、人の役に立つ生き方につながるかを考えると心づかいをすることになって心が成長するのである。
これが感覚や感情や本能や欲求という自然発生的な現象に人闇的な意味や価値を与えることになり、感性と理性の協力による人間らしい心が生まれる原理である、感性論哲学においては感性は人間の本質であり、理性は人間がより素晴らしい生き方をするように命がつくり出した手段能カであると考える。そしてなぜ感性と理性を協力させるという有機的体系的な構造をつくり出す必要があるのかと言えぱ、自分の中には感性や本能や欲求としての私と理性としての私があるという意識は自己分裂の意識であり、存在論的に『私は一人だ』という現実的な自覚に対する矛盾した問違った意識の在り方であるからである。
全ての病は、この分裂した間違った意識の構造から生まれる。命の健全な姿は、命を構成している理性、感性、肉体という三つの要素が互いに有機的に協力して働くことによって生まれる相乗効果として成り立ち、それが生命力という生きる力を生む原理である。命の構造や意識の巾に対立する関係をつくり出すことは、有機性から考えれば、命の有機性を破壊し、相乗効果としての生命力を弱め、自己分裂という混乱した悩みと苦しみの状態を意識にもたらすことになる。
心が一つにならず分裂して苦しみ病めば、必然的に肉体においても正常な有機体としての命の働きが阻害され、全体としての命が病めぱ当然に肉体にも様々な機能障害が生まれ病気になり、怪我や失敗をしやすくなる。そこで、心の健康と身体の健康を増幅し元気で幸福な人生を送る為には、どのように理性と感性を有機的に関係させれば良いのかという問題が出て来る。
私がこのようなことを医学と関係させて考えるようになったのは、15年前に恒川洋先生と出会い、先生からホリスティック医学という新しい統合医学の存在を教えて頂き、また先生が私財を投じてつくられた湯の山の「ゆらぎ園」で熱っぽくホリスティックとは何かを語り教えて頂いたおかげです。先生の真実の医療を求め続ける熱意と患者さんへの誠実な深い愛ゆえの悩みを拝聴し私はとても感動し、先生との出会いに感謝し心から尊敬申し上げております。
理牲と感性はバランスが大切なのではありません。それはまだ対立構造を含んだ、二次論の自己分裂の考え方です。我々が私と言っているものは感性であって理性ではありません。理性は皆に共通する普遍的なものを追求する力であって、理性的になればなる程、個性はなくなります。感性から欲求の湧いて来ない人は私のない人です。何がしたいのと問われて「いや別に」と言っている人は、現実的に他人に与えられた事をして奴隷の人生を生きるか、命が燃えることのない価値なき堕落の人生に身をもちくずすしかありません。

欲求のない人間には自分の人生はありません。欲求こそ私です。しかし欲求だけでは野獣であり人間としての生き方は出来ません。そこで人間は、よりよい生き方をするように命が創造した理性能カを手段として使って、自分のしたい事を、どうすれば多くの人に迷惑をかけることなく人の役に立つ方法で実現できるかを考えなければなりません。他の人のことを理性で考えるから、心づかいや思いやりや心くばりが出来るようになって心が成長し人間性や杜会性が出来て、人間としての健康で健全な対立を生まない精神が出来るのです。
個性というものは杜会において初めて価値を持つもので、自分が一人で生きているだけなら個性など意識する必要は生まれてきません。だから杜会において価値ある個性とは人の役に立つ個性であって、人の役に立たない、ただ単に他人とちがうというだけの個性は、対立を生みだし秩序を破壊しますので、このような次元の個性は、個性とは言わず、我がまま、身勝手、自己中心的と言われます。個性と言っても人の役に立たないものや杜会に受け入れられないものは個性ではありません。
だから我々は個性ある自分の欲求を、どうすれば人の役に立ち人に喜んでもらえる方法で、対立を生み出すことなく実現出来るかを理性を干段能力に使って考えなければ、人間としての個性ある存在にはなれません。これが理性と感牲を有機的に統合し協力させて生きる方法です。
理性が欲望の奴隷となり、他人の迷惑を考えずに欲望を実現する為に使われれば人間にはなれません。理性が欲求を否定し支配しコントロールすれば、これも人間性を破壌し、他人に完全性を求めて人を責めるような病んだ心をつくり対立を生み出して病気になります。考え方のちがう人から何かを学んで自分を成長させ、自分の考えは相手の気持ちを害さないような方法で伝える努力をする。これが感性論哲学において心身の健康と辛せな人生を実現する具体的な方法論です。感性論哲学は人生を健康に生きる為のホリスティックな哲学であると思います。
☆著書☆
「感性論哲学の世界」(思風庵哲学研究所)2,500円
『感性の時代」(〃)2,000円
「人間の格」(致知出版杜)10,OOO円
「人間観の革正」(〃)2,500円
『21世紀・目本の使命」(〃)1,200円
「意志のカ・愛の実力」(コスモ教育出版)1O,000円
他にカセットテープやCD版やDVDなど多数の出版物
があります。
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