| 神保町一丁目 | ||||
| 神田神保町1丁目 http://kuminseikatsu.city.chiyoda.tokyo.jp/chomei/html/ka_kan_jinbo.html 江戸時代、この界隈(かいわい)には武家屋敷が立ち並んでいました。そこに表神保町(おもてじんぼうちょう)、裏神保町(うらじんぼうちょう)などの町が誕生したのは、明治五年(1872)のことです。裏神保町は、大正十一年(1922)に通神保町(とおりじんぼうちょう)と改称したのち、表神保町、表猿楽町(おもてさるがくちょう)などとともに、昭和九年(1934)、神保町一丁目(じんぼうちょういっちょうめ)となりました。さらに昭和二十三年(1948)、神田区と麹町区(こうじまちく)が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。絵画は 下田祐治氏が描く「神田百景」懐かしい神田 再発見 制作 発行(有)あとりえ・えーすより |
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日本野球発祥の地 この碑は、神保町の交差点から一ツ橋に向かっていくと左側。学士会館の敷地の端にあります。 碑文から この地には, もと東京大学およびその前身の開成学校があった。 1872(明治5)年学制施行当初, 第一大学区第一番中学と呼ばれた同校で アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏 (1843〜1927)が学課の傍ら 生徒達に野球を教えた。 この野球は翌73年に新校舎とともに 立派な運動場が整備されると, 本格的な試合ができるまでに成長した。 これが「日本の野球の始まり」といわれている。 76年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。 ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州ゴーラム出身, 志願して南北戦争に従軍した後, 71年9月にサンフランシスコで日本政府と契約し, 来日, 77年7月東京大学が発足した後に満期解約, 帰国した。 同氏が教えた野球は, 開成学校から 同校の 予科だった東京英語学校(後に大学予備門, 第一高等学校)その他の学校へ伝わり, やがて全国的に広まっていった。 2003年, 同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。まさにこの地は「日本野球発祥の地」である。 2003年12月 (財)野球体育博物館) 神田神保町1丁目 |
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神保町の裏通り 靖国通りの古本屋は南側(店は北向きに、本が日焼けしないために)にあるが、その裏側に在る、三省堂の裏口から出ると、この狭い道の中に、喫茶店や飲み屋に昔の面影が残る。このあたりは道が狭いが落ち着く。昔からの店が多く「さぼうる」「ラドリオ」は有名である。さぼうるは、大きな木が枝を伸ばし道を暗くしており、建物にマッチしています。 神田の古本街をを歩き、気に入った本が手に入り、家まで待てない人が、喫茶店に入り好きなコーヒーを飲みながら、今 買った本を読む。至福の時を楽しむ。きっと森鴎外や夏目漱石、芥川、太宰等も通ったであろう雰囲気がある。きっと昔から同じように、ここで待ち合わせ議論をしている学生達の声が聞こえる。 一度、歩いてみたら如何ですか?案内しますよ。 ![]() |
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ビルの谷間に 神田神保町一丁目三番地、富山房ビルの裏にあります。靖国通りとスズラン通りの間に、この様な路地があることを知らない人も多い、最近舗装され、それまでは±の道路だった右側の建物はアルゼンチンタンゴが'聞ける喫茶店「ミロンガ」、戦後間もなくから営業している、今も当時の良き日をなつかしみ訪れる客が多い、二階には、詩集の出版で有名な「昭森社」がありました、その先の左側は昼は喫茶、夜は常連客で賑わうバーになる「ラドリオ」があります(1995年1下田祐治が描く「神田百景」懐かしい神田 再発見 制作 発行(有)あとりえ・えーす ![]() |
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茶房きゃんどる すずらん通りと学士会館の間あたりに,2,3階建ての下町情緒溢れる一角があった。キャンドルは覚えていないが、色々な店があった。今 その一角は再開発され、半分は事務所ビル 半分はマンション(東京パークタワー)になっている。キャンドルもそのマンションの一階に引っ越した。古い家具で落ち着いた雰囲気だ。 ![]() 以下は下田祐治が描く「神田百景」懐かしい神田 再発見 制作 発行(有)あとりえ・えーすより ![]() 昭和の初期、神保町一丁目のすずらん通り南側に「神田新天地」といって、カフェ、ミルクホール、ビリヤードなどで、にぎわう大歓楽街があった。そんな中に「茶房きゃんどる」は昭和8年に開店した。この店は昭和20年3月の犬空襲で焼け出された後、昭和22年に場所を変えて改築、当時植草甚一や川端康成も立ち寄った店、室内は音楽もなく、古風な扇風機が静かに風を送り、犬正時代の時計の音しか聞こえない別世界である。この店も6年位前に壊されてしまったが、現在再開発後のビルの1階で当時のイスやテーブル、調度品を使ってむかしの雰囲気を再現して営業しています。(1991年) |
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神田神保町1丁目 茶房 李白 神保町の交差点から、水道橋に向かって4分ぐらい。道幅の狭い裏通りに李白は有る。外観は民家風。 入り口の戸、窓の桟(障子)、行灯の看板、昔ながらの木造。 きっと、50年以上前はこのような感じの家が多かったのだろう。 中に入ると黒光りした木の壁、柱、床と、「李朝風」インテリア。重厚な焼物の器、階段、ランプ・・・すべてが骨董。自分さえも雰囲気の一部になってしまうようだ。 クラシックなランプ等の洋風小物も不思議と溶け合っている。 落ち着く。骨董なのに埃っぽくない。「隠れ家」的な雰囲気。 中に入り、写真を撮ろうとしたが、電池切れ。 ![]() 物静かな女の人がカウンターに居て、ゆったりサービス。煎茶には「お菓子付き」と書いてあり、他のメニューにもみんなお菓子が付いている。お菓子の種類は行く度に違いますが、甘さ控えめな上品なものです。喫茶店の本分である「癒しの空間」は充分堪能できます。 何か異次元的空間に、大正時代に入ったようなゆっくりした時間の流れの中で楽しめた。 残念ながら、先月に閉店しました。又ひとつ 神田の火が消えていく。 |
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神田神保町1丁目 三省堂 我が家から歩いて8分ぐらい。まっすぐ駿河台に向かうと、さくら通り、すずらん通りが終わる左側。駿河台交差点のはす向かい。神田本屋街のシンボル的存在。コンサイス等の出版もしている。懐かしき「神田」に出会う(都立小金井公園内・江戸東京たてもの園)江戸東京たてもの園は1993年(平成5年〕、江戸東京博物館の分館として開園し、江戸東京の歴史的・文化的価値を保存するため、当時の建物を復元・移築して展示しています。 ![]() 左の「武井三省堂」(文具店)は1927年(昭和2年)、震災後神田須田町に建てられた〈看板建築〉の建物で、前面がタイル貼りになっており屋根の形にも特徴があります。中の「花市生花店」も昭和2年神田淡路町に建てられたく看板建築〉のお店で、前面は花屋らしくデザインされています。右の「丸二商店」(荒物屋)は昭和初期に建てられ神田神保町にありました。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。 私の記憶では西田書店という出版社が入居していました。「神田にはこんな素晴らしい建物がたくさんあったのだ」と追懐の想いが溢れてくる情景でした。(絵と文''下田祐治〕 『論語』学而編より不忠・不信・不習について、日に幾度となく反省することから「三省」という社名にした。 なお社名は1889(明治22)年までは「SANSHODO」と表記していたが、1890(明治23)年以降は「SANSEIDO」と表記している。 |
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