神保町一丁目      神保町二丁目 神保町三丁目 グレロー便り
       
         
神保町
三丁目
神保町3丁目案内板 江戸時代、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が軒(のき)を連ねていました。
そんな武家のなかでも、朝廷や公家(くげ)に関連する儀式などを担当した高家(こうけ)旗本(はたもと)の今川(いまがわ)家は、ひときわ目を引く存在だったようです。屋敷前の通りは今川小路(いまがわこうじ)と呼ばれ、明治五年(1872)には、この小路の名前から、今川小路一丁目、同二丁目、同三丁目という町も生まれています。江戸時代には武家地だったこのあたりも、明治時代後半には活気あふれる商業地に生まれ変わり、いまの町の原型が形づくられていきました。 昭和九年(1934)、今川小路一丁目、同二丁目、同三丁目の一部が合併して神保町三丁目(じんぼうちょうさんちょうめ)となり、昭和二十二年(1947)、神田神保町三丁目(かんだじんぼうちょうさんちょうめ)となりました。
http://kuminseikatsu.city.chiyoda.tokyo.jp/chomei/html/ka_kan_jinbo.html

絵画は 下田祐治氏が描く「神田百景」懐かしい神田 再発見  制作 発行(有)あとりえ・えーすより
 
  

    山田 ハケ・ブラシ店

  靖国通りの専大前の交差点から九段下に向かうと家数にして、3軒目にある、ハケ・ブラシだけの専門店。こうゆう特殊な店は見たことが無い。
 この店のショウウインドウを覗くと面白い。
ハケとかブラシと名の付くものなら何でもある。例えば能面に使用する髭。剥製などを磨くブラシ。版画用、一般人よりも職人用の特殊な物等が多く、見ていても面白いが、写真を撮っていたら、怒られた。
 確かに書いてある{写真撮影一切禁止」あまりにも色々な事が書いてあるので、見落とした。
昔の家
  古い家         
 
神保町の裏通りを歩くと所々に古い家がある。時代的には関東大震災の丸二商店 荒物屋(江戸東京博物館内)後なのでしょうが、木造板張りから 銅版ぶき、モダンなモルタルそれぞれに趣きがある。
こうゆう家を見るとついカメラを向けてしまうし、店ならば中を覗いてしまう。 戦中には、爆撃にも遭わず、戦後かなりの古い家が残っていたそうです。右側の写真は昔3丁目にあった雑貨や丸二商店。今は江戸東京建物博物館に移築されている。中に入るとどこか懐かしい。










 
     
   松雲堂
松雲堂                                                   
 靖国通りの中に在り専大前交差点に近く、グレローから歩いて2分。
 古本屋。特に古書(和書)が多く、棚に平ずみしてあって、普通の古本屋とは少し違う雰囲気。中に入ると、独特な匂いがあり、本を手に取ってみると、和紙に直接書いてあるものもあり、かなり高そう。そして昔の本の特徴として糸かがりで、思っているよりも、軽いの驚く。この時代、江戸はやはり神田に本屋が多く点在していたようだ。しかし昔人の漢字の知識は高い。私には殆ど読めない。
  
     わんや書房
   わんや書房 正面
 
靖国通りに満留賀という蕎麦屋の角を曲がって3軒目。グレローから家数で4軒目。
邦楽、謡曲や能(宝生流)の出版社。
 先日、わんや書房の社員の方に合った。立ち話ですが、景気、不景気は関係ないと思っていたのですが、その方が言われるには「やはり景気に左右される」との事。 
 又、ここでは、3階か4階かに、練習場の舞台があり、時々、先生が来て教えているとの事。近くに在りながら殆ど知りませんでした。
 
 
 今荘(いまそう) うなぎや 


  
鈴蘭通り、さくら通りから次の無名の通り、グレロー通り(名前が無いので勝手に決めた)その入り口に有る。うなぎやさん。昔ながらの濃い味で、なかなか美味い。
 建物に特徴が有り、木造3階立て。近くの物知りの人に聞いたのですが、昔は(きっと昭和初期か大正時代)このような店が多く有ったそうで、二階でも飲めて、3階は自宅に使用していたり、場合によっては、春を売る場所でもあったそうで、80歳ぐらいの長老等は、こおゆう処で男になったそうです。今 このあたりの古い写真を探しています。町並みの変化が激しい現代に、何かホッとする建物です。
 
     専修大学

 専修大学               グレローと同じ町内にあるが、靖国通りを挟んで反対側にある。高層ビルであるが、大きな通りに面していないので、よく「専修大学は何処ですか?」と聞かれる。
 学校史より
創立者。相馬永胤、田尻 稲次郎、目賀田 種太郎、駒井 重格の4人、日本に経済学と法律学を教える学校を興そうと話し合った。 4人は米国の教育制度にならい専門教育課程を組織的に日本語で教える「経済科」と「法律科」を併設した専修学校を創立した。1880年(明治13)のこと。この「経済科」は日本で初めて作られた経済部門の高等教育機関である。この経済科は文学部門からも、法学部門からも独立していて、一歩米国の教育制度を越えたものであった。「法律科」は私学で最初に設けられた法学の高等教育機関である。こうして専修大学の歴史が始まる。
 前身専修学校は、創立者は、“創立主旨” を示して、各科兼修ではなく一科専修の専門学校をめざし、まず経済法律の2科をおき、経済法律専修学校として開学した。専修学校とはこれの略称で、一科を専修し、一学を専攻して学問の蘊奥を究めさせるという方針を含意させたものである。この当時法律学を教える専門学校は、東京大学の法学部と司法省の法学校の2つにすぎず、それぞれ英語・仏語で教授していたのに対し、専修学校は、邦語で教授するという画期的な授業を行った。
東京都千代田区神田神保町3-8

   
いもや

いもや 
神保町界隈に6店舗、そのうち3店舗がとんかつ店で他の3店は天ぷら、天丼店。この店は神保町3丁目。靖国通りぞいに有り、グレローから歩いて、3分。
 メニューは天婦羅定食と海老天定食の2種類しかないが、おいしい!
入り口の近くに、大鍋が有り、ごま油の香りが漂う。待っている間、職人の揚げるのを見られる。
昼になると、サラリーマンが並ぶ。しかし、食べた後、ゆっくりは出来ない。後ろに食べる人が、ズラーと並んでいる。 空いた席に、次の人が座る。そうするとお茶が出て、おしんこ、味噌汁が並ぶ、よく順番を間違えないものだ。
少し前に、チェーン展開している天丼の店が近くに出来たが、初期の頃は、お客を取られたようだが、最近は前のように客が並ぶ。俳優座の千田是也等、有名人も古本を探しに来ると、必ず寄るそうです。 いもやの由来は、昭和30年代の後半までは、焼き芋屋だったそうで、それが名前になった。


    玉川堂(ぎょくせんどう)

玉川堂 
靖国通りの南側に面し、専修大学前交差点と九段下交差点の真中ぐらいに位置し、風格がある店。グレローから1分。
以下は玉川堂のちらしから
  文政年間に筆墨硯紙の専門店として九段下中坂にて創業以来180年滝沢馬琴・漱石・荷風・晶子・茂吉・白秋・犬養木堂と多くの文人墨客に愛用された江戸筆の伝統を今日迄墨守し、遠く中台韓国は勿論、欧米からも書を愛する人々が来店しております。
      看板の由来
大分日田出身、玉川吟社主催で書家の長三洲先生(広瀬淡窓高弟)による書。明治10年国定教科書を揮毫。東宮職を務む、楷書をよくし、明治の三大揮毫家の一人。
書道の事なら初心者の方から専門家の方々までどんな御質問にもお答え致しますのでお気軽にご相談下さい。  店内に入ると、所狭しと習字の道具が置いてあり、こんなに色々あるんだと、驚かされる。千代田区神田神保町3−3 日曜、祭日休み



     
 


 陽明堂 武道具店
 
靖国通りに面した専修大学交差点から九段下に向かい左側の5,6軒目、ブル-ーのタイル張りの鮮やかな店。この店は部道具の専門店。この商売を始めたのは、関東大震災の後とか。戦後GHQの命令で商売が出来ず苦労したそうです。再会されたのは、何と昭和38年との事。前には部道具店がかなり有ったそうだが、バブルの時にいっきに無くなった。ウインドウには、見たことのない、何の武道に使うのか判らない物も有り見ているだけで、男の子は楽しくなる。中に入ると、剣道具、棒術、ノンチャク、十手、居合抜き刀など処狭しと武術に使うものなら何でも揃う。
 東側に向けて神棚が祀ってあり、下町の商店の雰囲気が漂っている。店主の種井さんは神保町3丁目の副会長でもある。

 
 
     


   九段下ビル

九段下ビル                    
靖国通り俎橋(まないたばし)のたもとにある洋風長屋、関東大震災直後に建てられた三階建てです。当時としてはとてもモダンな高層建築物だった。大正時代のアパート。一階が店で二〜三階が住宅の「げたばき共同住宅」のはしりです。.大正13年頃に建てられた鉄筋モルタル3階建てのアパートで、屋根や壁に飾りがあり暖かみや親しみを感じさせます。今は老朽化して建て替える予定とのこと、又歴史をずっと見つめてきた建物が消えてしまうのかと淋しい思いがします。住所 神田神保町3丁目4番地 大正時代のアパート 下田祐治 作 
下田祐治が描く「神田百景」懐かしい神田 再発見   制作 発行(有)あとりえ・えーす より
私が小さい頃、中根式速記の大きな看板が掛かっていた。老朽化が進みタイルが落ちそうなので、現在は何箇所か防護ネットがかけられている。
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  三崎神社例大祭

 
5月2日、3日は三崎神社の祭。管轄は9ヵ町。JR中央線水道橋駅から徒歩約2分 。
 徳川三代将軍家光が大名の参勤交代制を定めたとき、みずから稲荷神社を参詣し、諸大名に参詣を促したといわれ、諸大名は江戸入りするときはまずこの稲荷神社に参詣し 心身を祓い清めるのがならいとなった。 また、諸大名が国元に帰るときも、ここで道中の安全を祈った。
 今回も西神田の神輿が、高速道路の入り口に入った。高速に入ろうとする車は入れない。4年前の大祭。西神田ランプから入り竹橋出口まで神輿が揉まれた。
 後日談。神田警察で問題になり、その町内に付いていた警官が処分されそうになったそうだ。しかし、他の人達から、「俺達も見たかった」との声が多く上がり、その警官は処分されずに済んだ。それ以後、料金所までは認められているようだ。それが下の写真。

 料金所が見えて来た
     
    
グレロー便り 神保町一丁目 神保町二丁目 神保町三丁目 グレローロゴマーク